珈琲紀行 11  南米ペルー3

「マチュピチュ」と呼ばれる世界遺産。背後の峰は「ウァイナピチュ」
?Como sellama esto.............Machupicchu o Huaynapicchu?
海抜・・・・・2400m


1911年のある寒い月曜日の朝、若きイェール大学教授の
ハイラム・ビンガムV(映画インディアナ・ジョーンズのモデル
と言われる)によって、マチュピュは400年ぶりに発見された
とされるが、すでに1900年にペルー人が訪れていた、
という証拠が遺跡には残されて
いるという。

「空中都市」とか「失われた都市」の名で呼ばれ、ロマンを掻き立てるが、
本当は何に使われたかは諸説あり、はっきりしない。
しかし、客観的に検証していくと 幾つかのヒントがある と言う。
建物は全て石造りになっており、建設には大変な時間と 手間が掛かった
に違いない。 生活の場所であれば、ごく一般的な日干レンガを使うのが
妥当だろう。また、種蒔き等に必要な夏至や冬至を正確に知るための
観測台もある。 特別な儀式や教育のための場所、あるいは貴族の
保養所のようなものであったとすれば、それも説明がつくとされている。
発見時建物内に残されていた数々の遺物は全てアメリカに持ち去られ、
今は雑草以外なに一つ残っていないのはいかにも残念でならない。

しかし、
この息を呑むような神秘的雰囲気や保存状態の良さと設計の見事さ、
更には、遠くからやって来た巡礼者のような思いが、全てがここで
融合し感激の極致に達する。
また、大アマゾン河を下流から上流へと遡ると、ウルバンバ川を通って
この遺跡の直下にある深い谷間の流れに達するというから、
尚いっそう不思議な感じがしてしまう。

2005年6月2日放映のNHK番組「探検ロマン」によれば、
この遺跡は、第9代インカ皇帝パチャクティーの命により、ここから
500キロ離れた処にいた石に詳しい人達が呼び寄せられ、建設された。
石材は近くの岩山から切り出し、精緻な技術が存分に駆使されている。
ハイラム・ビンガムが持ち帰った遺品や人骨はそのまま放置されたが
その後、イェール大学で研究された。人骨は子供から老人のものまであり
すべて健康体であったと言う。また、武器類は発見されていないらしい。
又、上の写真にも見える段々畑では、神に捧げるチチャ酒を造るための
トウモロコシが育てられていた。現時点のでの結論は、マチュピチュは
「太陽の動きを研究し、太陽神を崇め儀式を捧げる神聖な場であった」と
推定されている。

2007年9月18日 CNNニュースによれば、
ハイラム・ビンガムによってマチュピチュから持ち去られた文化財
4000点がイェール大学からペール政府に返還されることが決まった。
この文化財は、クスコの博物館で保存・共同研究されるという。

2010年11月21日の日本経済新聞朝刊によれば、
陶器類や人骨、繊維など4千点に及ぶ発掘品がまもなくペルーに返還される、
と報じた。2007年にも発掘品の返還に原則合意したが、対象となる発掘品
の数などで対立し、法廷闘争になっていた。

マチュピチュ発掘品が帰国 米大学から100年ぶり
2011年3月30日 23時55分
リオデジャネイロ共同】米エール大が約100年前にペルー南部にある
世界遺産のマチュピチュ遺跡で発掘し持ち帰った文化財4万6千点余りの
うち、最初に返還されることになった363点が30日、ペルーの首都リマに
到着した。
インカ帝国時代の都市遺跡マチュピチュはことし、エール大による「発見」から
100年。節目の年を祝うさまざまな行事も行われ、返還された装飾品などは
観光客らの注目を集めそうだ。
ペルー側の再三の返還要求に同大が昨年11月応じることを決め返還に
合意した。
ペルー政府は来年末までに全文化財が返還されるとしている。
最初に“帰国”したのは、保存状態の良い金の装飾品や陶器、人骨など。
リマの政府庁舎で公開後、国立博物館やインカ帝国の首都だったクスコでも
展示される予定。
スペイン人の侵略によるインカ帝国滅亡後、山の尾根にあり下から見えない
マチュピチュ遺跡は忘れられた存在となっていたが、エール大の考古学者
ハイラム・ビンガムが1911年7月に再発見し、15年までの調査で発掘した
遺物を米国に持ち帰っていた。

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